"世話係?"--K氏

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2008年K氏からもらった年賀状

知り合ってから随分時間が立ちます。
ユニークな発想とアイデアマンでーー僕の日本語教育係でもあるK氏。
ツッコミ隊長の異名を持つ。

同じ職場にいったごろ、帰り道のついでによく終電までアルコール漬けながら、
政治、経済、過去、現在、未来。
職場-日本-世界-宇宙--銀河系。呂律が回らなくなるまで熱く語り
("オンナ"については話題が少なかったことを悔いが残るが... 笑)
八丁堀、茅場町、秋葉、上野、赤羽などの場所で出没するオヤジとコヤジ。

もとは広告系コピーライターのK氏。
さりげなく威厳のあるクリエイターの装いを着こなし
カバンは手持つのを嫌がり、"カバンを前に斜め掛ける"のはステータスとか。
"まじめに、真面目に"はモットー。らしいが
きびきび身構えされているかと思うと、のほほんの一言で周りを砕ける。
人によって、一目に置かれる存在。

デジタルの世界に転向してからは企画とプランニングへと変身し
言わずと知れたインターネット時代。の入り口で、いろいろと策略を講じた。

世間的に"個人の"ホームページは、また普及に至らず90年代初頭
ーーいち早く手打ちhtmlでマイページを立ち上げ、
ライター習性で集まったソースが解説を加え、相互リンク貼り配信したところ
大勢のユーザーから好反響が博したが、思わぬ某経済系大手新聞社に逆鱗。
事態が裁判沙汰になる寸前に発展し、止むなくページの閉鎖で収まった。
事後は本人はヘラヘラしていた。
曰く"ネットの世界で何が起こるかを確かめたかった"とか...

いまではあり得ないことだが、
当時は"リンク"の持つ意味を讀めず時代だった。
上記の某大手新聞社もそのようなものだ。
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時代が進化しても、ネットにのみリンクではなく
人間の繋がりも断たれるまいと奮発したものです。

社内においては、ムードメーカーだ。
現場のスタッフはネットバブルの泡を汗だく吹いていると見て
差し入れを買ってくるなり、エロチック的なダジャレが連発。
すると、たちまち緊張感から解き放される。
女子も"いやん〜、ゲヒンだ"とくすくす笑いながら、差し入れを頬張っていた。

のちの世代に、"ゲヒン"は"セクハラ""キモイ"などと言葉かえ
彼はダジャレを口封じた。本人にして見れば些か不本意かもしれません。

ええと、動物界で言う若猿はボースに反発した時の気持ち?
うん、進化とも言う。
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彼と仕事コンビ組み始めたのは20世紀末頃。
以来、仕事の調子は乗りに乗って、怖いもの知らずになっていくにつれ
"論争"も絶えなかった。時には職場で激論をしていると思うと
次の瞬間は昼飯に出かけていた。
周りのスタッフをビビリ、戸惑っていた光景はいまも記憶鮮明。

職場に限らず、日本の某GLOBAL企業S社の仕事のミーティング席でも
クライアントはそっちのけ、延々とアデイアの仕上げについて熱く議論し、
場をしらけたりもしていた。

そんな感じだが、
周りから"ゴールドコンビ"と見られていたような...。
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在職中も、フリーになった後も
常にモチベーションを高く持ち上げられ、"自己愛"に酔わせた状態に...笑
また、幾度なく仕事、個人的で危機的に状況に堕ちた時に
(僕は絶えず危機的な状況を作り出している)
一言二言で冷静させ、良い方向に向かわせ乗り越えて来たのも
兄貴のような彼と喧嘩ができる仲ではないかと、尊敬と感謝。

現在
飲み物はアルコールの代わりにウーロン
話題は"誰も知らない未来"から"体調が..."へと代わった。苦笑

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