大学の教室棟廊下
知り合いのK嬢に"君は口が悪い。なぜ?"と聞かれ
うん、恐らく"日本一"の口悪いーー母校のH教授先生の影響だろう。
との言葉で返し、
"在学当時の写真授業中にモデルになってくれた女子学生に
ライトをあてた途端
誰でも聞こえるような呟きで、"ちぇッ、首が短い、ないっ"と言い放った。
その後の彼女は皆のカメラで向けられた前に
必死に泣きを堪え、翌日からゼミーから去っていたのさぁ。"
ほらぁ、どうだ。インパクトのある伝説でしょ。と...。
きっと信じがたい気持ちを持っていたK嬢だろうが
後にH先生に会わせることにした。
約束の時間が大幅に遅れて到着した先生は、改札口に出るやいなや
案の定、K嬢を見るなり"彼と一緒に立つと、君もヘンなヤツに見えるよ"
と、ショックの初挨拶を食らった。(笑
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在学中にアルバイト探しに困りはて、先生と相談したところ
知り合いの制作事務所に入れさせ、デザイン修業させることにした。
その後、時々事務所に来ては、後ろに立ったまま
腕を組み、口にタバコを銜え、首を傾げながら、
"言葉も理解しないお前さんは、デザインなんか無理だろうな〜。..."
"ちぇッ、君はデザイナーに向いてないね..."とか。
返す言葉も見つからず、実に"ムッ"としかできなかった。
"デザイナーは洒落た(高い)道具を使わないと、
洒落た(良い)デザインなんかが出来こないっ"は口癖。
(恐らくプロ意識を養う目的のものでしょ。)
安そうな道具を使っていると見かけると"デザインがうまくならない筈だ"とか
時折、宿題は少しの手抜きがバレたら、
ここぞとぱかりに、怒りもせず、言葉が軽快に変わり
手を抜いた本人の顔が赤くなっていくのを楽しんでいた。
90年代初頭、いち早くパソコン時代の到来を予感し、自らパソコンを購入した。
が、翌日に僕に"お前も買え!!"
添えた一言は"これからのデザイン現場はパソコンが必須だっ"とか...。
反発することができず、秋葉に行きパソコンを購入してしまった。
買った日から"パーソナルコンビュータ"の虜に...。
なんせ当時にしでは、そお〜と高い買い物でもあった。
卒業寸前に"大学院へ進めたい"と、話を持ちかけたら
"君はあんなところに行ってもどうしようない
サッサと卒業し、社会に出て勉強しろ。さもないと卒業させないぜ"とね
これも反発はできなかった。
卒業してからの日々を立つのが速いっ!!
思えば、その節目節目で先生と会い、状況を報告し、アドバイスを求めてきた。
"社会でのお勉強"は10年目くらい立った頃、独立を促してくれた。
いまは会うと"親方"と呼び方に改めて
人生の恩師と崇めている。
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[番外話]
和光大学40年祭に、大学から手紙が届いた。
開けると学校事務の書類以外に先生の直筆の手紙も添えられ
"...この際、彼らに君のweb作品の出品を薦めていた..."と書いてあった。
"えぇ〜、こんなに忙しいなのにぃ〜"と、少しの怒りと戸惑いながら
すかさず先生に電話を掛けた。すると電話の向こうから"あのしゃべり"で言った。
"うん、薦めたのは俺だ。提出するだろう?"。
"ええ〜と、...はい"。説明しても無駄だと悟った。
"やれ、やれ"とブツブツ言いながら
10何年間にわたり、FD、MO、CDにためていたデータから作品を選び、
ようやくA0サイズ一枚に、ポスターふうにまとめたものを
先生に見せたところ:"1枚じゃ駄目た、せめて2枚にしろ"。とね...
あぁ〜、撃沈。
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