北京狂騒曲20100215

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病院の住人ーー野良猫たち


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北京新空港できた後、病院の上空に低空飛行の飛行機が見かけるようになった


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北京の冬名物ーー冰糖葫芦(山査子の砂糖付け)


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爆竹と花火の売り場。この花火の大きさは恐ろしい!!!


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素晴らしい晴天。風は硬く冷たい。

帰る前にいろいろと"楽しく"計画していた予定を諦め

成り行きに任せることにした。


朝からskypeで知人に"なんかあるかね?"とメッセージを打った

知人から"エリーの子のメールぐらい。"(かな~)

早速メールチェック。

"・・・エリーの父がなくなった・・・電報は・・・"とあった。

ハぁ~〜、偶然だ。妙だ。


知人に"今見た。そんな気分にならん。

こちらも大変!また、(こちらはまた)生きているが、これから病院にいく"のメッセージを送り、

"今 (エリーのための)弔電書き中"と知人から返って来た。

"ついでに僕のためにも・・・"と打った後

そのまま病院に・・・


pm24:00

今日も徹夜になる。

父の病状は良くなっていく。


父は大変腕のいい軍医だ。

しかもお洒落と清潔好き。

ーー(あの時代)輸入ものの金のノンフレーム眼鏡をかけ

  髪の毛を丁寧に手入れをし

  皮靴はよく磨き、軍服もアイロンをかけていた・・・


が、その反面

我慢とは無縁。わがままも荒い気性も天下一品で有名。

時々、父の職場の近くに通りかかると、知らない人から(知ってるかもしれません)

"君はxxxの息子だね"と声をかけられた時に

大変(不名誉)恥ずかしい思いをしていた。

それが家族にとって苦痛と憎むべきものでしかなく

己の若いごろは何度も父と喧嘩したことか。

(僕は父DNAの1%しか受け継がれていないと自覚している。

か、99%の"悪い"DNAを押さえているかもしれません。笑)


しかし、目の前の父は、昔の面影がなくすでに80歳超えていた。

いま、気力こそなくなっていたが、今夜少しは良くなったところで

"病院は大嫌いだ、主任を呼んで来い、家に帰る"とつぶやく。

3本の点滴をしている状態なのに、泣ける・・・


寝付かない幼いごろの僕を

両親は軽く体を撫で、寝付かされた。

今度は僕の番だ。

嗚呼、相変わらずわがままである。笑

どんなものであれ、辿るつく道は同じだ。

・・・。


am4:00。2/16日になった。

冬の北京深夜は静だ。

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