病院の住人ーー野良猫たち
北京新空港できた後、病院の上空に低空飛行の飛行機が見かけるようになった
北京の冬名物ーー冰糖葫芦(山査子の砂糖付け)
爆竹と花火の売り場。この花火の大きさは恐ろしい!!!
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素晴らしい晴天。風は硬く冷たい。
帰る前にいろいろと"楽しく"計画していた予定を諦め
成り行きに任せることにした。
朝からskypeで知人に"なんかあるかね?"とメッセージを打った
知人から"エリーの子のメールぐらい。"(かな~)
早速メールチェック。
"・・・エリーの父がなくなった・・・電報は・・・"とあった。
ハぁ~〜、偶然だ。妙だ。
知人に"今見た。そんな気分にならん。
こちらも大変!また、(こちらはまた)生きているが、これから病院にいく"のメッセージを送り、
"今 (エリーのための)弔電書き中"と知人から返って来た。
"ついでに僕のためにも・・・"と打った後
そのまま病院に・・・
pm24:00
今日も徹夜になる。
父の病状は良くなっていく。
父は大変腕のいい軍医だ。
しかもお洒落と清潔好き。
ーー(あの時代)輸入ものの金のノンフレーム眼鏡をかけ
髪の毛を丁寧に手入れをし
皮靴はよく磨き、軍服もアイロンをかけていた・・・
が、その反面
我慢とは無縁。わがままも荒い気性も天下一品で有名。
時々、父の職場の近くに通りかかると、知らない人から(知ってるかもしれません)
"君はxxxの息子だね"と声をかけられた時に
大変(不名誉)恥ずかしい思いをしていた。
それが家族にとって苦痛と憎むべきものでしかなく
己の若いごろは何度も父と喧嘩したことか。
(僕は父DNAの1%しか受け継がれていないと自覚している。
か、99%の"悪い"DNAを押さえているかもしれません。笑)
しかし、目の前の父は、昔の面影がなくすでに80歳超えていた。
いま、気力こそなくなっていたが、今夜少しは良くなったところで
"病院は大嫌いだ、主任を呼んで来い、家に帰る"とつぶやく。
3本の点滴をしている状態なのに、泣ける・・・
寝付かない幼いごろの僕を
両親は軽く体を撫で、寝付かされた。
今度は僕の番だ。
嗚呼、相変わらずわがままである。笑
どんなものであれ、辿るつく道は同じだ。
・・・。
am4:00。2/16日になった。
冬の北京深夜は静だ。
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