北京は政治・文化
ーー"統治"の中心。
北京ではこの言葉の意味について
恐らく2つの解釈ができる。
1つは言葉のその通り(全国における統治)
1つはその言葉の延長に含まれるもの
それは"脈"。
人脈、財脈、官脈、男的な脈、女的な脈・・・
(なんにそれ)
統治するものは脈をうまく利用して
人を動かし、ものを動かし、時代を動かす。
脈はこの地にとって大きな哲学。
大砲はあの地にとって大きな哲学と同じように・・・
(なんにそれ)
が、しかし、北京人は上記を熟知していても
"政治家になり、権力の中心にいるべし・・・"何て、思うもしない。
政治を話題にだけ目が向け、できもしないことを口にするのは
ある意味では一種のストレス発散
あるいはブラックジョークとも言うべきかな〜
それ以外できることは
やはり、口だけの世界で生きるのは楽しさを見出している
ように思える。
无可奈何(どうしようもありません)。
沢山見て来たから生まれた感覚かもしれません。
そんな少々感傷的なものを持ち合えている。
(なんにそれ)
が、しかし、北京人は脈についての感覚も長けていることも
この"无可奈何"から生まれた感傷への処方箋?
ですかね。
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この後こんな記事をサイトに掲載された。
個人的に"支配"の言葉が抵抗感がある
もしろ究極の"和"を以て世界を制すのほうが西洋文化にない
アジア精神。
ーー大知恵 or 小知恵の違いかなぁ?