2005年6月アーカイブ

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6月17日。今回の旅の目的である妹の結婚式は無事行われた。

20日の日本帰国に備え、残り一つの願望に移した。それはGUNの自由の国の"体験"だ。
早速サイトで一番近いところを選び出し、高速で走る1時間後一軒小さなGUN CLUB辿り着いた。
すぺての状況において自己責任である誓約書にサインしてから、ガラスのカウンタに陳列されているたくさんの拳銃の中から、拳銃2丁を借り、射撃用的を選び、玉100発を購入した。しめて70ドル。

拳銃の扱い方を説明した後、初めてずっしりとした重い鉄の固まりを手にした。と同時に一種の恐怖感が漂う。今度防音ヘッドホンかけたまま、(防音)ガラスの向こうの部屋に案内され、再び銃口の指す方向(いかなる場合も人間に向けるべからず)について"丁寧に"説明した後、充填した銃を的に向けた・・・
部屋に高度緊張の1時間。出てきた後のノドはカラカラだった。

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6月13日。晴れ空の31°
朝起きて初めて判った。昨日の日焼け防止はスプレーした後、均等に塗らなかったため、全身虎模様のように焼けた。これでは残りの日は泳げなくなった。

二日目のスケジュールは子供がいるため、まずSeaWorld水族館見学、それからピーチにて散策。炎天下で車を走る40分それほど大きくない水族館に辿り着き、子供たちがはしゃいている間に大人たちは樹陰で雑談する。
そうしているうちにデジタルカメラは無くしたことが気づいたが、慌てて公園のインフォメーションセンターに行き、幸い係員の方は拾ったため無事取り戻せた。旅のアクシデント。その後人影の少ないピーチでのんびり散策。ここはまた野鳥と小動物(カメリオーンとか)の天国だ。

旅の三日目も炎天。
大人たちは日差しの強さにバテぎみだが、子供たち相変わらずの元気につられて、今日もピーチで過ごす。フロリターはヌードピーチもあるとアメリカ人から聞いたが、探すのは趣味が悪いので、樹陰の多いピーチに選択した。
ここに来た以上キューパ葉巻は大人の楽しみのひとつだ。車を降りて早速近くのホテルにあるタバコ屋に駆け込んで、葉巻コーナーに探したが、一種類のものしかなく、この疑問をぶつけてみると、"アメリカのキューバ経済制裁は解けてないため、たくさんの葉巻は入って来れない"とのことだそうだ。まあ、世界一裕福なアメリカは葉巻は主要外貨収入源のキューバを相手にするとは、不可解な話だ。選択肢はなく1本4ドルのものを買った。
ホテルにロビに差し掛かるとチェックインを待っている外人夫婦に日本語で"日本人ですか"と声をかけられた。
"そうだ"と答えた。その後の短い会話によると、この夫婦はフランス人で10年ほど前大阪に7が月ほど滞在したことがあるそうだ。バカンスのためフランスからここに来たとか。しかし7が月滞在だけの日本語はうまかった。

フランス人夫婦と分かれた後二つ分のパラソルを借り、葉巻の香りを堪能しながら、海を眺める。すると先のフランス人夫婦は目の前のスペースにやって来て、奥さんはいきなり上半身を裸にした。フランス人の解放度に関心したものです。
その後南米系の麻薬の売人もひそひそやってきましたが・・・

今日はマイアミの最後の晩だ。夜遅くまで時間を潰し、pm10:00に車を走りながらピーチの一角にあるレストラン・酒バーの賑わうと夜景を記憶した。
翌日、太陽がアジアの方向に沈み始めたごろ、飛行機はアトランタ・インターナショナル空港に着陸・・・

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妹の結婚式は牧師の都合で今月16日から17日に変更された。日本には絶対にあり得ないことだが、これも文化の違いなのかね。
まあ、大きく狂うことにならず、3家族は揃ったことだし、計画通りフォロリターのマイアミピッチに向う。
6月11日。薄雲の空。
今日の午後5:17分、AA1917マイアミ行きの便に乗ることとなった。
昨夜サンフランシスコ→アトランタの便は2時間半の遅れで、家に着いたのは深夜2時半。簡単の挨拶を済ませた後に就寝。
朝11時に起き、慌ただしく昼飯に出かけるため、3家族7人で玄関に集中したら、大きな部屋も狭く感じる。
餞別は"近く"のイタリアン料理。日本にいる感覚で注文し、出てくる料理の量に驚愕しながら、美味しくいただいた後、いざ出発。
空港までの道のりは順調。セキュリティチェックも無事通過。(もちろん靴は抜いた状態)それからは1時間半の空の旅。(あっという間)

マイアミ空港のpm8:30分ごろレンタカーの借りる先に向かった。
すべての手続きが終えた後マイアミ市街の地図を手に、7人は借りたワゴンタイプのアメリカ車に乗り込んだ。
ところでそれまで運転していたのは皆日本車で、アメ車乗りは初めだった。車の出し入れゲートにいる管理人を横目に、車内のスイッチ類をあれこれテストをし、少しの不安を抱きながら20分後レンタカーの駐車場を後にした。 空はすっかり暗くなった。ホテルの案内図通りでいけば40分着く筈だ。
が、ホテルである筈の周辺は道路工事のため、ホテルは見当たらなかった。時間はすでに2時間弱経過し、仕方なくホテルに場所確認の電話をいれることにした。なんと、そばに幾度なく通り過ぎた通りのすぐ裏側にあった。
無事チェックイン完了。さりげなくフロントの係員にホテルは看板のないことを告げた。申し上げなさそうで"看板は工事中の道路側にあるのですが・・・"と返事した。

まあ、少しの時間は無駄になったが、無事はすべて。
簡単に片付けた後、腹の面倒をみることにした。近くの歓楽街に行くのをやめ、ホテルのイタリアンレストランで済ませた。アメリカに来てはじめてビルを飲み、これから3泊4日マイアミ滞在の楽しみと無事に乾杯した。
ここに来る前に妻はサイトでマイアミの治安状況の悪さについて、随分調べた。が、7人はいれば少々緊張感は和らげた。
pm11:30分。翌日の体力温存のため、とりあえず就寝。

熟睡している深夜。部屋の扉は開き、人の声をし、そして再び扉を締めた。
暫くすると部屋の電話は鳴り出し、朦朧としながら電話に出るとフロントからのようなだった。電話を置いて、話を聞くと、ホテル側は別の客にもこの部屋をチェックインさせたそうだ。うん、さすが多らかなアメリカ人(大陸人)だ。一体目の前にあるコンピュータに入っているシステムにも工事中なのか?

6月12日。一昨日のハリケーンを去った後の晴天、気温31°。
早起きし、メールをチェックしたいので、試しに携帯のノートブックの電源を入れた後すかさずホテルの無線LANの存在が見つけた。アメリカのネット普及率とMacOSXの良さに関心した。

さあ、今日は僕の誕生日だ。今日を境に自分の計算では人生の3分の2は終わりに告げた。サイトで今日の誕生日の有名人を調べたところ、なんとG.H.W.ブッシュ(米41代大統領 1924年)たっだ。これもなんにかの縁と思いづつ苦笑いした。

am9:30分。7人は車に乗り込みピーチに向けて出発。
ガイドブックの説明によると、ここマイアミは亡命キューバ人と南米系の人々の多い町だそうだ。昨夜レストランのウェダーのスペイン語訛りの英語を思い出す。そのためか、著しく違和感が感じる。というより多少粗暴なところ際がある。時おりアメリカにいること自体が忘れさせる。
とにもかくにもマイアミの町なみは南国の薫りが漂う。色よりどり・鮮やかの建物、樹のグリーン、翡翠色の海、白い砂浜、ブルーの空のコントラストは絶妙かつ強烈な新鮮さに映る。長旅の甲斐が噛み締めながら、思わず"興奮"気味。

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うむ、ここにいると、きっといい芸術がうまれると思った。(きっといい感性のままで死ねる。)

車は賑やかな町中心部にある駐車場に止め、車内で水着を着替え、日焼け止めスプーレを全身にかけた。腹の飢えを満たしてから、一行は直ぐ目の前にあるピーチに直行。
まず強烈な日差し対策。
ビッチの一角にパラソルをレンタルするところで8ドルでパラソルと椅子を確保した。料金を支払う時に係の女の子は神妙で理解のしようのないニコニコ笑顔を気になっていたが、そんなことより開いているスペースに設営し、ハリケーンの後の暖かい海に繰り出した。

ひと泳ぎの後、パラソルの陰に戻り、風景を見ながら回りにいる人々を注意してみると、男同士、女同士の組み合わせは多くいることに気づいた。なんだか妙。背後の風景も見ようと振り返ったところ7色の虹色の旗は目に飛び込んみ、やっとあの女の子の笑顔の意味が理解した。我々はピーチの同性愛者(ゲイは多い)のスペースに入り込んでしまった。
仕方がなく、目の前の男同士のキスシーンを黙って知らんぶりをしてじっとレンタルの時間切れを待った。

am8時、今日のフェナーレはイタリアンレストランで誕生日パーティ。

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6月9日。炎天。
朝のメールチェックで、日本に新規仕事案件を待っていると知り、嬉しいやら、頭痛やら・・・

昨日から2日間は妹の結婚相手はミズーリに帰省のため、朝・昼・晩の三回、飼っている一匹の犬と一匹の猫の世話係に勤めながらのんびり過ごす。

まわりの本は皆英語で、少々退屈だ。妹からもらった電気製品のセールチラシにMac miniのフルー装備(1.42GHz/1GB Memory/Bluetooth/Airport Extreme)は999.97ドルで販売されているのを目にとまった。僕のはメモリ1GBにしただけで10万円強だっだ。やはり日本は高い!! 

昼飯の後、犬と猫の世話。
10日に姉さん夫婦は子供を連れてカリフォルニア・サンフランシスコからここアトランタにやって来る。来るまでの間は時間が有効に利用しようと考え、
"近所"にあるデッバート"ROSS""Marshalls"にショッピングに出かけた。
この二つの店特徴は、大手デッバートの売れ残りのブランドはここにおろし、販売する店だ。その性格もあって、サイズと品物は日によってあったりなかったりするのだ。宝探のようで、これは意外とハマる。
結局3時間でまた買い込んでしまった。今度旅行バッグを買い換えはしないとね。

夕方5:30分。腹が減って来た。
姪はかねてから行きたがっている日本人よる日本料理屋にてご用度することに。店の名前は英語で"I?・ SUSHI"。うまくできたな〜。と関心する。
一歩店内に入ると大将はカウンターの内側に料理の調度をし、女性一人は客の応対に走っている。雰囲気的に夫婦で経営している店に見えました。
料理の値段はやや高い設定になっている。注文は日本語、中国語、英語入り交じったものだった。なんにせメニューは英語で、料理についての説明は中国語、質問・確認は日本語だったから。さぞ"奥様"は戸惑っていたことだろうな。

ちなみに注文した品は: カツ丼、天ぷら盛り合わせ、寿司の6品セット、ウナギののり巻き、ハマチ1艦、キュリのり巻き。締めて45ドルなり

料理が出来上がるのを待っている間に、店内を観察した。そこそこの広さ持つ店内は客半分埋まっている。が、なぜか頭痛の冬ソナの主題歌を流している。
お土産コーナーに小さな日本人形や、木細工など置いてあった。壁に掛けてある白地に色文字で書かれた日本語"いらしゃいませ"や"今夜は飲むぞ"等の帯のなかに"エッチ代表"と書かれたのは目にとどまった。思わずへらへら笑ったと同時に"正直ものだぁ"とも思った。

待ち時間は長かったが、料理はうまかった。

6月7日。天気は晴れ。気温は31°。
回りは小鳥の鳴き声しか聞こえない午後4時。ポーチでタバコを吸いながら、リスと睨めっこ。
この2,3日に遊んではゆっくりする日の繰り返しで、このままでは"日本人"でいられなくなる気がして来た。

アメリカに来る目的の一つはショッビングだ。
日本にもある全世界のブランドを販売するチェーン店のチェルシー・プレミアム・アウトレットに行くことにした。am8:30で家を後し、まず通り道にある妹の勤める会社に見学する。今日の朝の車渋滞はほとんどなく約1時間で勤める"Computer Outlet"の会社についた。

この会社のメイン業務は中古のバソコンを整備・販売。その他、個人向けのオリジナルパソコンの組み立てもする等。社長(中国・天津出身の方)の直々案内で売り場を一周した。見る限りでは、日本の中古市場に売りそうにないものも商品価値がある。その後の雑談で今のアメリカの新品・中古パソコン事情について聞いてみたが、要約すれば以下のような内容だ。
大統領プッシュの"対テロ戦争"でアメリカ景気は悪くなる一方に連れ、IT市場はここ数年低迷し続けている。このごろの消費者の紐は固く、新品パソコンの購入上限は2千ドルまではほとんどで、中古市場の値崩れは限界に達している。だそうだ。
先日妹からこんな話は聞かされた。"この2,3年、IT中心地のアメリカ西部から、大量の職をなくした外国人IT人材は生存のためアメリカ東部に流れ込み、この辺りで皿洗いの仕事にありつけている人はかなりの数がいる"。
そういえば姉さん夫婦は勤めるシリコンバーレーにある世界有数の半導体チップ・性能テスト会社(日本の大手電気メーカーも常連客だ)もこの1,2年建て続き2回会社主が変わったことを思い出した。

日本いると毎日のように目にするITニュースは一体なんだろう。それほどアメリカより景気が良いとは思えないのだが、あれは単なる商業社会の一種の精神麻薬?
なんとなく僕愛用のMac miniは日本市場を賑わせるためではなく、アメリカの消費者を救うための究極な品に思えた。世界大国の大統領はいつの日になって国内に目を向けることになるやら・・・

さて、会社出てさらに40分の道のりで、「NORTH GEORGIA PREMIUM OUTLETS」は見えて来た。
ここに来る前は調べたが、このアウトレットは小規模だ。ただいまの時間はam11:20分、平日のせいか人影はまばらで、これはしめた!!

...。

家に戻ったのはpm10:40分。皆さんの口数は少なく、買い物の喜びは微塵も感じずに途中で注文したラーメンを腹に収めた後、夢の世界でさまようことにした。

Stone Mountain PARK

渡米最初の土曜日、二日間の休みの初日だ。
朝起きったら、周りはにわかに騒々しくなってきた。向かい側の家族は子供4人と子犬一匹でお駆けっこをし、裏側の家族はBBQセットを担ぎだし、パーティの用意をしている。

僕たちは妹の案内で、ジョージア州の名所観光地の[Stone Mountain PARK]にいくことした。
平坦な内陸部の森を切り開いた道に走る約1時間、湖が見えて来た途端、目の前に突然巨大の岩が逼って来た。かのStone Mountainだ。

この巨岩について、"隕石だ"と紹介されたが、そんな馬鹿な!!と思った。
この大きさの隕石は空から落ちって来たら、いまの覇権アメリカは地球に存在していない筈だ。
念のため日本語サイトでStone Mountainについて調べていたところ下記の解説が見つかった。
"Stone Mountain は、高さ約250mほどの世界最大の花崗岩の山です。
およそ3億年前にマグマの活動で火成岩が地上に噴き出し、それが冷却されて巨大な花崗岩のひと塊となったものだそうです。..."

登って登頂するのは、苦に耐えられそうにないので、素早いSkyliftを選択肢にした。幸い人が少なく待たずに約30秒で頂上に降り立った。
頂上が植物はほとんどなく眺望は見事なものだ。透き通った晴れの日でしたら、ここからアトランタ市の高層ビールが一望できるそうだが、あいにく薄曇りで見えなかった。安全のため、頂上周辺はフェンスで囲まれ、写真をとってもらおうとファンスに寄りかかっていたら、揺れて出したのをサーチし表情はつくらずにシャッターを急かせた。

その後車でStone Mountainを一周し、明日はジョージア州の年に一度の[Renaissance Festival(ルネサンス・フェスティバール)]にいくため早めに帰路に辿った。

Renaissance Festival

翌日は晴天時々夕立があるとの予報。気温最高C31°
それまでほとんど曇りと雨の日々でしたから、少し鬱になった気分はこれで吹き飛ばせる。と、 いいほうに考えていたが、これは後ほど大きな誤算だと思い知らされた。
車を走って約1時間30分、それまで見て来た森は今度大平原に変わった。今日は祭りの最終日、しかも日曜日なので、平原一面見渡す限り車で埋め尽くされた。車社会だな。と、予め認識した。(昔自転車の海が見て来たが、スケールは違う)

車を降り、回りにいるのは伝統衣装で着飾った連中だ。
暫く歩くとRenaissance Festivalの正面ゲートから会場に入った。それまで寂しくしていた妻は今日のため来た人数になんとなく興奮している様子。

まあ、言って見れば子供の祭りみたいな内容だ。
とは言っても祭りの雰囲気はやはり違和感が覚えた。と言うのはアメリカ南部に黒人は多いと言われるが、今日の祭りにはほとんど見かけない。この疑問がやんわり姪に聞いてみた。"黒人はいないけれど、これは白人だけの祭りですか"。姪は"そうでもないけど、黒人は来てもいいのだが、けれど祭りは白人の歴史や、伝説に基づいたの内容構成です。黒人に嫌がられている"と答えてくれた。ご尤もだ。

とにかく暑い。典型的な大陸気候だ。時々ショーを行われるが、その度炎天下で30分焼きの目に遭う。出店した店も多く、中に一番人だかりができたのは刀や劍を売る店だ。40%OFFの魅力もあってか、一人は大・中・小の3,4本も買って行くのは決して珍しいことではない。
アメリカ人って、やはり生まれつきの自己防衛本能は強い!? の結論に結びつくのかな。
法律では18歳未満では刀剣を買えない。が、お父さんに連れてもらえば小さな子供でもほしがる刀剣が買える。これぞ、自己責任。

俺も記念に12ドルで一本買った。すかさず妻に怒られた。"持ち帰れないでしょ!!"と、分かってますが、妹に頼んで郵便小包として送ってみることにした。(駄目だろうね。今後送れる先に送ってもらうよ)
pm5:00会場から出た。帰る道はひどい渋滞のなか、突然半端ではない通り雨が降って来た。来る時と違う道に切り替え時速80キロで走る30分。いきなり目の前の道は乾燥している。目あげれば晴れだった。

戻って来て分かった。焼け過ぎて皮膚が痛い。

やはり5:30で起きた。自らコーヒーを入れ、本を読みながら飲んでいる。
東京にいる時の緊張感はすっかり抜けた。
毎回の如く"このまま長くいると、ビジネス戦士に戻れないじゃないか"という半分不安な思いが過り始めた。まあ、これも貧乏暇なしの運から抜けきれない証拠となればいいのだが。

しかし、朝の空きっ腹でコーヒーを飲んだせいで、お腹の調子は可笑しい。
「東京物語」を読み終えた。いい小説本だった。作者は俺とほぼ同年代たっだし、少しの自己満足感が得られたような。これも錯覚かもしれんなぁ〜。
けれど、10年後に読むべき本だとも思えたよ。10後にはへこたれた時読むとさらに懐かしく、面白いだろうなぁ。場合によって少しは元気がもらえるかもしれない。現時点では生々しく、痛々しい感じ。

曇ってるし、今日の一日もこのまま家に籠ることになりそうだ。
と思っていた矢先、姪に連れられ"一番近い"ショッピングモールに行かれた。
大きなモールだ。見渡すかぎりその敷地で、空港ターミナルのようにできている。そのまわりは寛大の道に挟んで、大小いろんな店で囲まれている。
"普段はこのモールに来ない"という姪に原因が聞き、返って来た言葉は"黒人はメインで利用するモールだからだ"。確かに周りは黒人は多いように感じた。とは言っても白人はいない訳でもない。
姪の黒人嫌い話は昨日聞いた。曰く"勉強せず、繁殖力強すぎ、麻薬中毒者多い、堕落"。
僕にはあまりはっきり言えるようなものではないが、店のショーウィンドの白色・黒色のマネキンで、それぞれの皮膚の色を代表するのは確か。うん、これは互いにとって、認められた差別とは言えないのか? 俺の日本語はヘン?
姪と妻は店に入っている間に通路の椅子に腰掛けて、通りかかった人々を観察し、やはり年齢層が違っていても白人と黒人の文化は歴然としたものだ。

番外編だが、日本にいると妻は体重に気を遣っているが、ここの群にいると、栄養不足に見える。これだけは錯覚ではない!!

今日は6月4日金曜日。午後から天気ようやく晴れる兆しがみせ始めた。
妹は普段より早く帰って来た。家に入るなり言った。
"今日は彼があなたたちと合って食事したい。どうかなぁ?"誘われたら断れないのは僕の弱いところだ。暫くすると白人の大男(198cm)がやってきた。漢字で左腕に"神"、右腕に"愛"の入れ墨してあった。簡単な挨拶を済ませ(英語はできたら、仕事でも紹介してもらおうと思ったが、案の定できない)、"近所"のメキシコ料理屋で腹ごしらえした。

食事後お二人のデート時間にさせて、僕はシャワーにはいった後、外で夜空を眺めながらタバコ吸っていると、目の前にかすか何にかが光った。目を凝らしてよく見てみると、なんとホダルではありませんか。数は少ないがあっちらこっちらに飛んでいる。そうだ。照れくさ言い方(俺に似合わない言葉)だけど、これは"恋の季節"だね。

アメリカの旅3

さすがに寝すぎた。
成人して以来の記録かと思うが、朝5時に起きた。(記憶では4,5年も前に沖縄いく時に、朝5:30分でした)
昨夜稲妻・雷・大雨の三点セットはやってきた。木造住宅なので、雷で少しは揺れたような・・・。

しかし、早起きは得した。朝の空気はいいね。
暗がりの中に小鳥のさえずり聞きながら、タバコを一服する。
僕は2日でこの静けさにすっかり馴染んだが、妻にはもう耐えている様子。
曰く"ずっとここで生活していたら、精神的にくるってしまいますよぉ・・・"だそうだ。
余裕なんぞ知らない性格なんですね。ちょっと気の毒に思えた。

話によると、10数年前に現在のコミュニティ出来た時、白人の入居者はほとんどで、数年前から状況が一変し、白人と入り替わり比較的に裕福の黒人は住むようになった。土曜日になると向かい側に住む黒人は大音響で黒人の歌が流しながら、洗車するそうだ。

妹は朝9:15分に出勤。
"チャームが鳴ったら、白のも黒のも関係なく扉は開けるな"と言い残し、家に出た。
黄色のは? (差別用語でごめんなさい。)
勤める会社は車で1時間ほどのところにある中古パソコン関連の整備・販売する会社だ。
日本と違って、パソコンはかなり古くても買う人がいるらしい。大分低収入層の人々はいるのことだろう。

今日は曇りだ。気温C23°。
姪は昨日友達の家に遊びにいき、深夜12:00の帰宅。ただいま熟睡中。時間はam11:00。
妻はアメリカの土地を踏んだ時点から、花粉症か風邪かは不明で、鼻がうずうずしている。
軽くウォーミングするつもりで、周囲散歩に出かけた。
が、人影はなく、子犬一匹だけが人の家の前に居座ってこっちの動きを目で追った。
日本的で言う"閑静の住宅地域"とは、まるで概念は違う。

昼飯を済ませた後、姪の提案でドライブ重ね、車を走って5分のところにある小高い山に散歩することに決めた。
妻は"5分の距離ですから、歩いて行こうよ"と言い出したが、即座に僕と姪二人で拒否された。
時速60マイルで走ると初めて状況をのめり込んだ。ここもまるで概念は違う。

3:20分に結婚相手の娘(16歳)を迎え、夏休みのアルバイト先に送り届けた。
その娘は免許習得して1年間で3回事故ったあげく、ただいま運転禁止中のためだ。
(妹は結婚したら、その娘は名目上僕の姪になる。なんだか変な気分)

その後近くのスーパーで食料品の補足。僕は99センットのライターと6ドルのアメリカ国旗を買った。
(なぜスーパーで国旗は買えるんだろうね? これも"愛国精神"の概念が違う。)
焼くためではなく、旅先の国の国旗を収集することにしようと思っているからだ。
ちなみにオーストラリアのもゲットした。日本の国旗は気軽に買えない。それに旅にしじゃ長いすぎる。

また雨が降り出した。

晩ご飯の前の時間は姪に学校生活の話題を振ってみた。
●麻薬事情について
90%の中学・高校生は麻薬ではなく、アリファナを吸っている。或は経験がある。
アメリカの医学界の最新解説では、タバコを吸うよりアリファナは選択したほうがいい。
その訳として、アリファナ(上にある麻薬に手が出さない限り)はやめようと思った時点でやめられるが、タバコはニコチン依存し、簡単にやめられない。これは最新概念だ。なのかなぁ?

●セックスについて
小学校からだそうです。中・高校生は母になる子は学級の中に3,4人はいる。
性教育は小・中・高は3回だけ。
一回目の小学校生に教えるのは精子と卵子で人が生まれる。
二回目の中学校生にはどうやって精子と卵子が出会えるのを教える。
三回目の高校生になるとどうやって精子と卵子出会うことを防げる。のを教われる。
ただし、高校生に付き加えることとして、男の子は性的衝動しやすいもので、責任は持ちたがらない。女の子は一旦妊娠したら9が月の苦労の末、すべて責任を背負うこととなる。
イコール青春の謳歌とは無縁になる。
なんだか妙に納得する教育だ。

●欧米人とアジア人の学習態度について。
欧米人ー明日は死ぬかもしれない、生きている今日を楽しむ。
アジア人ー家族の期待を背負っている。

少し時間感覚はずれて来た。

アメリカの旅--2

6月1日
朝起きったら、雨が降っている。気温はC21°で爽やかな空気だ。

姪は今年の秋に大学に進学することになっている。
ただいま夏休み中で、ちょっと僕らの案内人に勤めてもらっている。

昼飯の時間になると悩んだ末、本日日本料理に決めた。
長閑な郊外の道に車を走って10分のところに、青色のネオンが放つ"TOKYO"の看板(そのままですね)という日本料理屋につく外観からどう見ても店開きしている様には見えない。
が、日本の一般家庭のような扉を開け(オートー扉ではないす〜)中に入ると案外広く、やってましたね。

話は聞くとこの店は韓国人はオーナーだそうだ。
メニューに日本語で"いらしゃいませ"とあって、店の名前の"TOKYO"は"ときよ"とひらがなで書いてあった。
確かに英語の発音は"ときよ"と聞こえます。言葉って不思議なものです。ちゃんとその場の雰囲気に合うようにできている。

注文したのはステーキ定食。
まず出された吸い物らしきものは味の素100%、次のサラダにかけたソースの味はわからん。(ショウガの味がする)
肝心のステーキは大味で、僕には塩っぱいたが(かつて勤め先八丁堀にある中華定食屋マンツキの味付けの濃さ)、まま食える。周りに見渡すと、地元の白人は皆満足そうな顔して食べている。
日本はハイテック以外のジャンールもまま受けてるよ。な感じ〜。

時差の関係でいま午後2時だが、少し眠くなってきた。寝る。

夜8時起きた。晩飯。

妹の結婚相手の息子は今年20歳だ。
お父さんの結婚式のために今日イラクから戻って来た。
お父さんは空港まで迎えに来るなと言い、ガールフレンド4人に来させたことにした。
そういえば、アトランタ空港に降り立った時に周りは砂漠に着る迷彩服を着た若者はぞろぞろいたね。身近は戦場みたいだ。

●アメリカの携帯電話事情について
最近の携帯会社は新たな通話サービスが始まった。
auの家族割を超えて、同じ携帯会社と契約したものの通話料は24時間無料だ。かなり魅力的だと思えた。
ソフトパンクの孫さんは頑張ってほしいね。サービスの真髄を消費者に返せってか。

夜の12:00だ。寝るぞ。