2010年2月アーカイブ

帰途の便はUA898。am11:15北京空港離陸予定。

am7:00。軍の食堂で朝飯を済ませた
am7:50。ええっと、"荷物は1,2。はい、これでOK"
am8:00 迎えに来た空港行きの車に乗り込んだ。これですべて終わり。

一般道走る15分で空港高速に入った。
ええっと、"あれ〜、あれあれっ、僕の財布は263に置き忘れたぞ"・・・
すぐに次の高速出口に出た・・・
少しは余裕を見ていた時間がこれで台無し。
脳の活動は停止している状態を実感した。

am10:45。無事ゲートE30に入った。
が、搭乗前のセキュリティチェックで空港免税店で買っていた酒を"駄目だ"と言われ
戸惑った。チェック係になぜ駄目なのかと確認すると
"アメリカ行きの便では免税店で買った水類は、
店員を持って来ることになっている"とか・・・

地球大国アメリカっだら・・・と溜息。

am11:10 チェック係の催促でようやく免税店店員は酒を持って走って来た。
離陸5分前だった。

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北京の自転車の数は年年減ってゆく。
こんな風景も後何年かして、見れなくなるかもしれません。

さあ、残り後一日。
今日の午後に263に行き、そのまま明日朝の便で日本に戻る。
最近買ったニコンD300sの電池は後一目盛りしか残っていないため
急遽友人Cさんに電話をかけ"充電器をかしてもらえないか"と頼んだ。
30分後にCさんはやって来ては"充電器はかせないかわりに、
2つの充電済みの電池をあげる"
ああ、〜高い充電池を2つももらった。

そう言えば、D300sを購入後にskypeでCさんに自慢げに告げたところ
彼は"すぐ返品して頂戴!! 買うならせめてD700くらいにしろ"と言われ
慌てて調べてみると、D300sの値段の倍にもする代物で
"俺にはあれを無理だ"と拒否していた。

帰ってから彼に"何のカメラを使っている?"と聴くと
彼はおもむろに"いまはニコンD3Xだ"・・・・
う〜ん? ああ、どうして?  国家公務員の給料で買えるものなのかな〜
引き続き彼は"余っているD200(すでに製造中止)をほしいならあげるよ"
へい、砕けた。

pm4:00頃
兄貴の車で263に着く。
4時間ほどいてから病室に出た。
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静けさが取り戻した263の待合室。

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263の長い建物内の廊下。この時間帯では恐怖感さい漂う。

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住居の入り口の灯籠の1つはすでに裸電球しか残ってなかった。
嗚呼、今年の正月を終わりが告げたような・・・。

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これからはシャワー。後は早めに就寝。
の予定だったが、一段落になったところで
ふっと胸騒ぎし始める。何かが忘れているような〜、〜
"あっ、日本の自宅のカギーは市内の自家に置き忘れたっ"

pm11:30。この辺りはこの時間帯ではタクシーを拾えにくく
263の入り口に待機している"闇タクシー"ドライバーと交渉した末
往復で100元で車に乗った・・・。

はhttp://48pro.net/365/なり
これは360"°"のあやまりである。
"°(度)"の表記は、はなから現実的な表記はできない

しかし
己は"360°"ものアルコール飲んでいる。
が、"3"と"6"と"0"と"°"の組み合わせでは"人生"なんか正しくおくれない。
それはそれでも僕なりの努力。
その努力なりは、それなりにクヤシイ。

ニンゲンってなんだろう?
けして"人間的"な求め何ぞ、求めるため生きているわけではありません。
が、生産され、生きている限り
己はーーーー己でしかない
己はーーーー生き物でしかない
己はーーーー少しも"知識"を持たない生物
己はーーーー己のすべて
と思う。・・・。

雨降る音がしとしと
人生もしとしと
それはすべてになるかな・・・

後は足して言えることは己は"己"と言う解釈で生きている。
と己なりに思っていること。
と己なりに存在感を示したり・・・

その己は
実に意味のあるようなものではない・・・

うん、人生は楽しい!!! 
が、"人の生"と呼べるものに結びつかなくとも
それは動物ではなく、それは"知恵"を持った"人"の定め
それは大量発生!!! 

と言う後付け的な説明で己なりに納得する。
仮にこれはクソでも・・・

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あっ。
己は明日から何をするかは分かっている
明日からの現実と向き合う。
それはそれは、今日以下或は明日以上はない・・・
己は超現実主義者であるからである。
己は"これは現実"だ。と思うまでのこと。
"これは非現実だ"と勘違いしないかぎり・・・



※因みに上記は間違いがなく、360°のアルコールを飲み、360°を回れず
と分かった後の独り言である。
"xxx"の名前をつけた車ですから保証する・・・ の言い訳ではない。

これまで過ごした日々を合わせて10時間くらいしか寝れなく
これからの日々には、ほとんど記憶がなくなっていきました。笑

写真の日付の助けを借りで・・・

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17日。北京の繁華街王府井にて。行く前に友人は"あそこは田舎者行くところだよ"
と、言われました。まあ、己はすっかり"田舎もん"になっているのさぁ。笑

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夜。家族の団欒に家から歩いて2分のところに「桂公府」にて食事。
しかし、身近にこんな立派な貴族の住まいがあるとは思ってもいなかった。
聞けば、かの清朝の西太後の弟の住まいだったそうだ。
建国後に半分は幼児園で半分は政府系の研究機関として使われていた。

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「桂公府」の園内一角

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「桂公府」の中庭

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「桂公府」の中通路。なかなかいい雰囲気。

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18日。日本の節分にあたる日?
北京市内のあちらこちらから爆竹と花火・・・

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空に散る花火。

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街の照明と月

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19日。好晴天。タクシーで修繕された「前門ー大栅栏」という北京の歴史のなかにおける
商業の発祥地。100年以上の老舗は集まった地区。
写真は150年の歴史持つ北京ダックの老舗「全聚德」。
世界中の有名人はここに足跡を残してある。
ここの北京ダックを食べたら、他のダックを食えないほど絶品・・・

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写真は400年の歴史持つ漬け物の店「六必居

前門で2,3時間遊びの後、天気もいいし、気分も悪くない。
タクシーで一路「北海公園(800年近くの歴史持つ)」に目指した。

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「北海公園」凍った湖面。懐かしい!!
昔はこの季節によくスケート遊びをしていた。
あの時の風景とは変わらなかった。

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鳥になれるものなら、なりたい気分だ。

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「北海公園」全景。代表的な建築物はあの白塔。

「北海公園」に約1時間の滞在。
気分が納まらず、そのまま歩きながら隣にある「紫禁城」まで・・・

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誰撮っても、この風景は変わらない。
冬の「紫禁城」の"味"は格別。ここも昔はスケート遊び場だった。
いまは禁止されている。

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宮壁外に植えられた、北京の代表的な柳の木。
すっかり周りの風景にとけ込んでいる。

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所々見かける北京の原色の風景・・・

am10:00 タクシーで一路市内の自家に目指す。

正月中つき、道に車の数が少なく、20数分ほどでついた。


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北京に向かうタクシーの中。市内に近づきにつれ空気が悪くなって行く・・・


pm2:30 友人Cさんの車に乗り、

忙しく20年も合えなかった友人Mさんの郊外にあるアトリエに向かった。

20年間の変化は会った瞬間 分かった。互いは変わらなかった。トシ以外に・・・

話は20年間ではなく昔の記憶でさかせた。

これで前後を繋がった。(今回、大きな収穫だと言える)


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友人Mさんのアトリエの一角。制作途中の巨大な作品を横たわっていた・・・


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霧(汚染)の中の赤い落日


pm6:00 そのままレストランに行き・・・

pm9:00 忙しい友人Mと次に"もっと時間を作ろう"と約束し別れた

再び友人Cの車に乗った。"さあ〜、これからの時間がどうしましょうか"と僕の問いに

友人Cは"俺の家に行って飲もう"。

はい、そした。ビール5缶と中瓶程度の56度の酒1本で翌朝の5時まで・・・


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17日朝の5時くらい?。自家回りの朝風景。



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病院の住人ーー野良猫たち


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北京新空港できた後、病院の上空に低空飛行の飛行機が見かけるようになった


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北京の冬名物ーー冰糖葫芦(山査子の砂糖付け)


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爆竹と花火の売り場。この花火の大きさは恐ろしい!!!


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素晴らしい晴天。風は硬く冷たい。

帰る前にいろいろと"楽しく"計画していた予定を諦め

成り行きに任せることにした。


朝からskypeで知人に"なんかあるかね?"とメッセージを打った

知人から"エリーの子のメールぐらい。"(かな~)

早速メールチェック。

"・・・エリーの父がなくなった・・・電報は・・・"とあった。

ハぁ~〜、偶然だ。妙だ。


知人に"今見た。そんな気分にならん。

こちらも大変!また、(こちらはまた)生きているが、これから病院にいく"のメッセージを送り、

"今 (エリーのための)弔電書き中"と知人から返って来た。

"ついでに僕のためにも・・・"と打った後

そのまま病院に・・・


pm24:00

今日も徹夜になる。

父の病状は良くなっていく。


父は大変腕のいい軍医だ。

しかもお洒落と清潔好き。

ーー(あの時代)輸入ものの金のノンフレーム眼鏡をかけ

  髪の毛を丁寧に手入れをし

  皮靴はよく磨き、軍服もアイロンをかけていた・・・


が、その反面

我慢とは無縁。わがままも荒い気性も天下一品で有名。

時々、父の職場の近くに通りかかると、知らない人から(知ってるかもしれません)

"君はxxxの息子だね"と声をかけられた時に

大変(不名誉)恥ずかしい思いをしていた。

それが家族にとって苦痛と憎むべきものでしかなく

己の若いごろは何度も父と喧嘩したことか。

(僕は父DNAの1%しか受け継がれていないと自覚している。

か、99%の"悪い"DNAを押さえているかもしれません。笑)


しかし、目の前の父は、昔の面影がなくすでに80歳超えていた。

いま、気力こそなくなっていたが、今夜少しは良くなったところで

"病院は大嫌いだ、主任を呼んで来い、家に帰る"とつぶやく。

3本の点滴をしている状態なのに、泣ける・・・


寝付かない幼いごろの僕を

両親は軽く体を撫で、寝付かされた。

今度は僕の番だ。

嗚呼、相変わらずわがままである。笑

どんなものであれ、辿るつく道は同じだ。

・・・。


am4:00。2/16日になった。

冬の北京深夜は静だ。

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深夜2時。新鮮な空気を求め病室の外にて


am6:00。一睡せず朝を迎えた。

なんだか、父はまた息をしている。しかも好転の兆し・・・


am9:30。姉はオーストラリアから駆けつけた。

am10:00。病院関係者は看病と新年挨拶に来た。(なんだか不思議な光景)

am10:30。婦長さんは辰年の虎の縫いぐるみを持って来て

"あけましておめでとう"と挨拶した後、虎の縫いぐるみを点滴の掛け具に掛けた。

ーー白い壁、白いペット、白い医療器具の中に赤い虎の縫いぐるみは目立つ


am11:00。担当の医者は困惑した表情で家族に病状説明した。

曰く"昨夜葬式の準備を と言っていたが、こんなに回復しているとは・・・"

うん、僕も困惑だ。


まあ、いままで4回も危篤状態にあいながら

今日に生き延びたのは確かに不思議。(活きる意欲の強さが感じる)


am12:00。

状況は少しは安心した。途端に昨日の機内食以来

まともに食事を取ってないことを気付き、

眠気と同時に胃が痛くなった。

さあ、とりあえず己の体もなんとかしないと・・・

病院の隣にある父の家(両親は別居生活20数年)に帰り途中

緊急策として、買ったカップ麺を食べ

睡眠薬飲み、着の身着のままで寝た。


pm18:00。

家族で病院近くのレストランで団欒。

注文した北京タックは味はしなかった。

アルコールは飲みたくて飲めなかった。


人間と自慢している限り。
苦しいとかなんとかは感性のある限りはクソくらい
己は人間である限り己はバカである。

ええっと。北京狂騒曲の狂騒曲。
pm1:10 四ッ谷あたり。
愛するやまぬ彼女に頼み込んでビール一杯、ボトル焼酎1本、ボトルワイン1本
の付き合え
+帰りの電車にメール3本・・・
彼女の根気に万歳!!!!!

am9:00。

最後の提出データを送り、メーラーを睨みながら

一週間休みための出発用意を準備する。


pm19:00、ユナイテッド897北京行きの便に乗り、時刻通り離陸。

pm21:30分。北京新国際空港に無事着陸。外気はマイナス6度。


今日はアジア旧暦の元旦。

予定は、このまま市内の自家に行き

20何年ぶりに夜12時になった時の爆竹の興奮を味わう。

はい、今となって恐ろしい騒音に聞こえるかも・・・

と、心構えもした。


pm22:00。無事通関。

後は迎えに来る兄貴の車で一路・・・

と、思っていた矢先、目の前に現れたのは別人。

"今夜は市内の自家ではなく、263に行きましょう"と告げた。

"263だ? なぜ263なんだ?" (263とは軍の病院名)

"とにかく車に乗ってから・・・"


これは怪しい。まさかなんかのジョーク?

しかし、彼の真剣そうな顔を見て

半信半疑で新空港の広大な駐車場に迷い込んだ。

迷ってしまった。停車位置を・・・


10分後に見つけた車に乗り

(軍隊所属の)車は高速を無料通過でハイスピードで走りながら

彼は事情説明を始めた

"実はあなたの父は2日前に263に入院した。今は危篤状態に・・・"

"危篤? なぜ危篤? 先日電話した時にまた元気じゃないか"

と、己の耳を疑った。

・・・・


さすが正月の夜、一路で車一台も見かけていなかった。(気のせい?)

約20分で病院につき、急いで病室に駆けつけた。


病室照明は明るい。医者、看護婦、兄貴、お手伝いさん

と各種医療器具に囲まれた病床に横たわった父は口開けて呼吸している。

医者は"間に合って、良かったね。明日朝持たないかもしれませんから、こゝろの準備を・・・"

これは現実だ、ジョークではなくなった。


段々事情をのめり込んで行きにづれ

今日のなすべき事は

爆竹の興奮ではなく、徹夜看護だ。


pm12:00。360度の空間から爆竹は一斉に鳴りだした。轟音は30分続いた。

僕は 病院の窓から打ち上げた花火が見えた・・・。

(爆竹の振動で、車につけた警報も一緒に鳴った)


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病室の窓越しに、樹木の間から見えた打ち上げた花火。



今日はアジアの旧正月。
一週間の休みを取り、帰郷。

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先日の休日に、恩師の自宅で
柳亭市楽さんの落語を楽しんだ。
人生初の落語なんだが・・・

と、昨晩"エリーの子"からの電話でそう告げ
そうだと思っていたら、今朝から待ってもエリーからは電話が来ない。

それでは、こちらからかけることにした
知人は"エリーに電話をかける前にチョッコでも食べ、気を鎮めてから・・・"
との進言を受け、実行した。
が、エリーは電話に出ない。

うん、己が思い、そして反省する
ーー己のどこかは壊れているのでは?
  狂っているのでは?
  このご時勢にあってないのでは?
  傲慢的になっているのでは?
  ...etc

恐らく、そのすべてが当てはまる。であろう。
でなければ、当たり前のルールに従い、当たりのように進めていても
当たり前のような結果に結びつかないことはない。であろう。

さてさて、困った展開になって来た。
かつて知人に"君のビジネスにとって、俺なんか必要なのか?"、
"本当に必要なのか"とシツコク聞いた事が一度二度ではない。
しかし、心配と危惧していたものと大きく違って来た。
このままだと、養豚場にいる感覚になる。

あぁ、そうだ、祭りだ。
大いに騒いでも、大体の範囲が見えて来た。

仕事の流儀。
と言う言い方とか、この世の中には・・・ある。の筈。
(僕は仕事何か大の嫌い。もともと仕事で人生なんか送る夢ではなかった。
が、仕事と言うクソみたいな選択肢しかなく
この"仕事の人生"、この流儀とかとつき合うことにした。)

あのエリー。最近逃げ腰になった。
代わりに"エリーの子"を全面に押し出し
代わりに恥をさらしている。

って言うことで、エリーの子(男の子)は当面の餌食にされている。(可哀想に)
その子が、仕事は分からない割に、"これにしてほしい・・・"とか
と要求してくる。幼児園児のように・・・
これでは流儀なんか言っている場合もなくなっている。

あぁ〜、僕は誰を相手にしている?
知人は"エリーはオーストラリア人と中国人の真ん中に挟まれ、
いじめられた可哀想な日本人だよ"。あっははは・・・・

あっははは、知人と一緒に痛快に笑いたい
へい、素直に笑えない。
エリーの流儀に・・・・

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初雪の日。
早めに自宅に向かい、静かに仕事の下準備しよう。
と、打算していたが、自宅に着く寸前に電話がなった。
出るといきなり"犬に噛まれた"云々・・・

今度人間と犬の喧嘩?
静かに仕事・・・は出来る訳がなく
調べていた病院までタクシーでたどり着け
消毒・注射してもらった。
・・・。
   ・・・。

寄宿して来る犬に、"モモ(インコ)は大丈夫だろうか"
と心配していた。インコは離し飼いしているから、のためである。

犬(名前はチョッコ)がやって来た。
インコとはじめの何時間は何に事もなく平和的な"睨めっこ"をしていた
まあ、この程度なら可愛いもので、さほど心配することも無さそうと安心していた矢先
モモは食事している犬の頭を標的に飛んで来たり
犬に近い床に闊歩し、挑発したり、・・・
対し、犬は追っかけて掴もうとしたり、噛もうとしたりしているのを見て
心配していたことを的中し
さすがに、この"争い"の結果を見たい気分になれなかった。

慌ててこの二人の間に入り、
障子でなるべくお二人の顔を会わせないようにした。

しかし、この二人は果たして争っているのか
それとも遊んでいたのかは未だに理解できずにいる。
万物の頂点に立つ人間の能力を持ってしては判明不可。