2008年10月アーカイブ

電子マネー推進グループの"ボス"で勤めていた頃のN氏とは
それまで数人で飲み食いしていたが
"x日に時間が空いてれば飲みに行こう"と誘われ、待ち合わせの新橋駅で
時間通りでF氏は一人で現れた。
"うん?一人だけ?"と戸惑いを払拭するために確認したら
N氏は"今日は二人だけで飲みたいな〜"。

場所は点々と換え、3軒目は六本木交差点にある老舗に落ち着いた。
話題も"何の話でしたっけ?"と次から次へと換えていき
いつの間にかN氏のこれからの"進めるべき道"に辿り着いた。

"これからベンチャー企業の社長になるか、
それとも政治家になるかっ"とN氏は話を切り出した。
うん〜〜、政治なんか知らない僕に聞かれてもと返事がしたが、...。

暫く日が経つ。
彼から"現在の会社をやめ、まずベンチャー(小僧com)の社長から..."
の電話での一報が入り、落胆的な決断の速さだった。

日本の"ベンチャー企業"は最盛期、
ライブドアのホリエモンたちが世間に話題を排出し尽くせない時代だった。
小僧comのは後にライブドアの社長に就任したH氏はオーナーで
いち早くシニアSNSに着目したビジネスを展開し
N氏のリーダーシップで仕上げていた。

ただいま、蒲田駅周辺にて
政治家の道を歩むには必須な街頭演説に精を出している。
...。

の日に、只管情報収集に奔る。
そろそろ紅葉の季節になってきたし、空気も澄んでいる。

こんな面白い広告が集めたサイトを見ながら、少しはストレスの解消になれば...

久々ビール、ワイン。

勤めていた会社はネットバブルの絶頂期の後から
下り坂に・・・

便利さを享受し、人たる感情までも流された?

また、かつてにあった
会社統制"コントロール"の崩壊も怖いものです。
ーーサラリーマンと化された"クリエイティブ・プロデューサー"の一人芝居
  責任のなすり付け・曖昧な指示・言われた通りにしか伝える能力...
  傍らで観覧させられる日々。

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S社にいった頃次から次へと仕掛けをうみ出し、事業部を引っ張っていた。
やがってグループの売上が黒字に転じる寸前
疲れきった顔つきでS社から身を引き、転職した。

転職したSB社の東京本社から福岡に出向してから
3回も"遊びにおいてよ"と誘われ、3度目の正直で空路で福岡に行き
予約してもらったホテルに着いたまもなく
ひょうひょうと、D氏が室内に入って来た。

控え目な春風満面。笑い
さっそく用意してくれた球団の"ハカマ"に着替え
"我が物顔"で広大な敷地に案内しながら、現在の心情を訪ねると
にゃぁっと"まあ、転職は正解だね"と返事してくれた。

夕方に、球団関係者行き着きの飲み屋で
ご馳走と酒を口にし、八分"酔意"で中洲へと消えた...。

上京で会うたんびにもらった名刺を見ると肩書きが増え
"よっ、こなせるのか"とからかうと、返ってくる笑いが肴に...
彼と食事のはじまりの慣行になっている。
焼酎通でもあるD氏のすすめで、深夜まで飲ませていた。

D氏。ーー天性の勝負師。送ったあだ名は"詐欺師"。( > /< )
プラス永遠控えめな態度。(怒るとさらに控えめになる)
彼はいまSBホークスマーケティングの"総支配人"兼何とかと何とか。
...。

ムーバブルタイプブログシステムをインストールした。
が、その先の作業に苦労したいる。�G���������͂��Ă�������

その後、久々のアルコールメニュー : ビール→ワイン→焼酎→ラム酒→焼酎
で、初めて二日酔いになってしまい、激しい頭痛...
暫くの間にコピペでステトしながら、仕上げて行きます。

+今週の情報はこれだ!
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結婚式の出し物ーー好きなウェイクボードをモチーフにデザインしたEdyカード

初対面は某大手S社に入社して暫く立った頃
先輩の方に連れられミーティングの場に現れた若造H氏。

席に着くなり彼の"僕はこういう案がある"、"こう思う"、"こうしたらどうか"...
の生意気な発言の連発を食らい、苦笑いしながら
こゝろの底では: クライアントでもなれば殴ってやるところだぜ。
での、鮮烈な第一印象が残った。

それでも会社は仕事のリーダーシップを彼に取らせた。(さすがS社)
仕事は順調に滑り出し、後何日でサイトリリースにこぎ着けそうになった。
が、肝心なデータ一点が一向に来ないっ!!
H氏に確認電話をいれ、返って来た答えに呆然。
曰く: あっ忘れた!すぐ手配。到着はリリースの前日夜になるかもしれない。
"ふざけるな、こんな対応では仕事になるかっ。リリース時期を延ばせ"
怒りに任せた話を彼にぶつけた。
その後の彼は社内飛び回り、リリース日が延期。
"あっ、正直なヤツだ"。人に初めて申し訳ないことした気分にさせた。

打ち上げの席で、飲んでははしゃぎ
上司の頭を撫でながら、不遜な言葉の連発
と思いきや、今度は女子の後ろから抱きつき、キス攻撃したり
気がつけば、半裸になっていた...。

下半身の緩い若造でも有名だ
酒を誘って飲みに行くと、若い子を連れって来ては
"兄貴、今日は早めに...ごめんっ"と
へらへらしながらあやまって置き、その子と手を繋いで引き上げた。
翌日のメールで"昨日もxxx"との報告内容が届く。笑
彼の話では:大学時代が超真面目に勉強に打ち込み
遊びが一つもしなかった。そうです。
かくして結婚するまでこんな調子で続いた。かなぁ?

趣味も多様!?
食事を約束し、ギターを抱えて現れ、酒の勢いで近くの公園に行きギターを演奏
次の食事では、酒の後にスケートボードを乗って転び、携帯を無くす
また次の食事では、"いま将棋を勉強してる..."と聞かされる
そのまた次の食事に"ウェイクボードにハマってるっ"...
あ〜ぁ、付き合いきれない。

あれこれ"散らかして"ながら、順調に出世道に突き進め、
いつの間にか電子マネーの立役者の一人にのしあがっていた。
この間久々に会い、飲みの席に着くと
"あぁ〜、つらい、疲れた"を連発し始まった。
話を聞くと自分が立案したビッグ・プロジェクトの責任者に抜擢され
慣れなく、ドタバタしている。らしい。
"へいへい、ざま〜みろ"と密かに笑いを堪え、
檄を飛ばしていた。

こんな調子で付き合いが続き、今日に至った。
ただいま、彼は30代なったぱっかり。紛れなく次世代のリーダーに育成され
到頭逃げる事はできなく、その"嫌いな"エリートとなっていたような...。

ドメインを取得した...。

気になった記事
「クラウド、台頭!」再びドタバタのはじまり?

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この記事の続き...?
まるで、暴露或は愚痴のように受け捉えたら不本意。笑
いままでのデザイナー稼業に出くわした"典型的な"話のいくつを書き留め
善し悪しとせず、"あっ!"と誘えれば...

ケース1: 某インターネットプロバイダ大手(2002年頃)
所属していた会社のHPを見て、HPデザインコンペに"参加しないか"と
お声をいただき、コンペの期限に提出し、結果は参加した数社中のトップに選ばれた。
"良かった。良かった"と喜んたつかぬ間
"実は、他社の見積もりは大分安くなっているので、安くして貰えったら..."
と、クライアントのご要望が飛び込んだ。
交渉の末、互いに納得できる金額に折り合えず、がっかりさせる結果に終わった。

と、忘れかけた一ヶ月位立った頃に
再びあのインターネットプロバイダ大手の担当者から連絡が入った
"やっぱり御社の提案とデザインでいきたい。見積もりもそのままで..."

"おやぁ?"と困惑しながら"戻って来る話"の真意を確かめたところ
"この一ヶ月間に見積もりの安いところに仕事を依頼していましたが
上がって来たものは..."。落胆したような語りだった。

ケース2: 某法人向け通信プロバイダ大手(2005年頃) 
長きわたって付き合って来たこの会社。
窓口の担当者と社内SEサイド一堂に
顧客向けのサポートツールの開発話を聞き、デザインとコーティングを受けた
見積もりを提出し、緊急に緊急がつく案件なので、作業に突入した。

拡張ができるようにと、コーティングにチカラをいれ
一週間後の第一次納品の場での説明では、SEサイドに"感激の涙"
後は少しの調整が残ったものの
"よしよし、これで..."。胸を撫で下ろした
の矢先に、"コーティング部分の見積もりは高い、前に(3年前)作ってくれたコーティングルールの金額に基づいたものにして..."云々の連絡が入った。

何で今頃と思いながら
"今回のコーティングは..."と弁解し、さらに"コーティング技術も進化した..."と説明した
あげく、嫌々見積もり金額通りで同意した。
が、仕事もこれで最期に迎えた。

ケース3: 某公営競技大手(2008年頃) ※金額は例えになります。
営業サイトから持ち込んだ話では"15万円ほどの予算で新規サイトの立ち上げ..."
しかも、デザインコンペ!!
うんな馬鹿な〜! できるところもあるだろう、代わりに探してやれ。
と言うのは話を聞き、こゝろの底に起きた反応。

まあ、とりあえずコンペへの参加資料・見積もりを作成→提出した
もちろん"15万円ほど..."のものではなかった。

まあ、いつものように、2社ほどが残った。と通知して来た。
その内訳は"ライバル他社"は企画デザインは通らず、見積もり(50)は安かった。
我々のものは"すばらしいが、見積もり(90)は高い!"。

さあ、困った。「デザインコンペ」と名をうたったものを
「見積もりコンペ」へと変ったっ。否応無し実感した瞬間。

話し合いの結果は"ページ数を増えない、修正は1回限り"条件にし
数字は80から49に改め、作業に挑んだ。(修正は数回もあった。笑)

こんな企業様のケース: 某ネットコンテンツ提供企業(2001年頃)
オリエンの席でこちらから質問したところ
"カネを出すから、言われた通りでやれ!!!"と企業担当者様の言葉が返って来た。
"カネはいらないから、この案件を拒否する"とこちらは席を立った。
...。
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いずれのケースは"特別なもの"だと認識し
乗り越えられるのは"知恵"とも言われている。
うん〜、なんとなく"同梱され、追い詰められた運命共同体"だと感じずには入られない。

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久々自転車を乗り、荒川の土手に出かけた。
曇り空。秋風に吹かれ、秋の色合いになりかけた広々スペースに
一周走った。この普段運動しない体には酷だった。

さて、こんな記事を見つけた。
プロフェッショナルのデザイナーによく使われている21種類のフォント
ご参考になれば...

因に僕の場合はHelveticaが命です。これがないと落ち着かない。
その次の選択肢はGaramondかBodoni。

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ニュータイプのMac Bookシリーズもいいが、
このクールかつシンプルなデザインで目にとどまった一品だね
AMEX DigitalからMac対応の外付けBDドライブ

最近秋葉でいろいろと物色していたが、机に置けるようなものがなく
複数機能を持たせたマシン本体は当面が望めないなら、これを買いたいね。
自宅の本棚は本を置くスペース代に、MOとCDに占領され、過去のデータを探すのに
苦労している。

さらに贅沢な発想では、この薄さでハードディクスも付き加えれば。。。

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動物を観察すると、基本的な: 食す、防衛、繁殖行為は
本能に基づいて、生存を示している。

デザインの仕事を少し長く携わるといろいろと見えてくるものがある。
よって、おのずと対処法が生まれる。
まあ、ずる賢くなったと言ったほうがいいかもしれません。笑

デザイナー稼業と無関係のものは最近になって
随分神経を逆なでに感じたりする。例えば"情報"に対するとらえ方。
(くどいキーワード??)
かつては、デザイナー向けの本や雑誌とか情報源として眺めれば充分。
の時代がいつの間にか通用しなくなり
趣味でもないし、煩わしいし、一見デザイナーと無関係・意味ない"情報"
も知らず内に仕事のフィールドに飛び込み、関わらざる得なくなった。

しかし、逃れられない現実だ。
いかにして情報の真ん中に置かれた"我"を見失わずにいられる。
個人的には"動物的本能"のフル活用で、
麻痺することがなく可能の限り360°見渡せるようにし、
"余計な"情報も排除せず、持って表現・主張することで
我が身を守る術にしている。

某旅行代理店大手を写真の長期無断使用したため裁判ざたになったそうです。

以下はニュース記事からの引用
"読売旅行は11日、ツアーのチラシや新聞折り込みに観光地の写真を無断に掲載することが「全社的に行われていた」...。
...、報告は「著作権への意識の希薄さ」を主な原因に挙げている。...印刷会社に写真選定を任せる傾向が強くなったことが無断掲載の拡大を招いたとしている。"

あげくの果てに、印刷屋に責任を押し付けたのはお見事!!!
さすが価値ある専門家よる調査。

うん、このレベルの会社でないとニュースにも乗れないのですね。
この調子だと"現在進行中の"平気で制作者に"オリジナル制作データをよこせ"と
脅かすような「著作権への意識の希薄さ」"一般企業"に及ぼすのは、
当分時間がかかりそうだ。
暫く自己防衛は緩めないことですかっ!?

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2008年K氏からもらった年賀状

知り合ってから随分時間が立ちます。
ユニークな発想とアイデアマンでーー僕の日本語教育係でもあるK氏。
ツッコミ隊長の異名を持つ。

同じ職場にいったごろ、帰り道のついでによく終電までアルコール漬けながら、
政治、経済、過去、現在、未来。
職場-日本-世界-宇宙--銀河系。呂律が回らなくなるまで熱く語り
("オンナ"については話題が少なかったことを悔いが残るが... 笑)
八丁堀、茅場町、秋葉、上野、赤羽などの場所で出没するオヤジとコヤジ。

もとは広告系コピーライターのK氏。
さりげなく威厳のあるクリエイターの装いを着こなし
カバンは手持つのを嫌がり、"カバンを前に斜め掛ける"のはステータスとか。
"まじめに、真面目に"はモットー。らしいが
きびきび身構えされているかと思うと、のほほんの一言で周りを砕ける。
人によって、一目に置かれる存在。

デジタルの世界に転向してからは企画とプランニングへと変身し
言わずと知れたインターネット時代。の入り口で、いろいろと策略を講じた。

世間的に"個人の"ホームページは、また普及に至らず90年代初頭
ーーいち早く手打ちhtmlでマイページを立ち上げ、
ライター習性で集まったソースが解説を加え、相互リンク貼り配信したところ
大勢のユーザーから好反響が博したが、思わぬ某経済系大手新聞社に逆鱗。
事態が裁判沙汰になる寸前に発展し、止むなくページの閉鎖で収まった。
事後は本人はヘラヘラしていた。
曰く"ネットの世界で何が起こるかを確かめたかった"とか...

いまではあり得ないことだが、
当時は"リンク"の持つ意味を讀めず時代だった。
上記の某大手新聞社もそのようなものだ。
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時代が進化しても、ネットにのみリンクではなく
人間の繋がりも断たれるまいと奮発したものです。

社内においては、ムードメーカーだ。
現場のスタッフはネットバブルの泡を汗だく吹いていると見て
差し入れを買ってくるなり、エロチック的なダジャレが連発。
すると、たちまち緊張感から解き放される。
女子も"いやん〜、ゲヒンだ"とくすくす笑いながら、差し入れを頬張っていた。

のちの世代に、"ゲヒン"は"セクハラ""キモイ"などと言葉かえ
彼はダジャレを口封じた。本人にして見れば些か不本意かもしれません。

ええと、動物界で言う若猿はボースに反発した時の気持ち?
うん、進化とも言う。
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彼と仕事コンビ組み始めたのは20世紀末頃。
以来、仕事の調子は乗りに乗って、怖いもの知らずになっていくにつれ
"論争"も絶えなかった。時には職場で激論をしていると思うと
次の瞬間は昼飯に出かけていた。
周りのスタッフをビビリ、戸惑っていた光景はいまも記憶鮮明。

職場に限らず、日本の某GLOBAL企業S社の仕事のミーティング席でも
クライアントはそっちのけ、延々とアデイアの仕上げについて熱く議論し、
場をしらけたりもしていた。

そんな感じだが、
周りから"ゴールドコンビ"と見られていたような...。
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在職中も、フリーになった後も
常にモチベーションを高く持ち上げられ、"自己愛"に酔わせた状態に...笑
また、幾度なく仕事、個人的で危機的に状況に堕ちた時に
(僕は絶えず危機的な状況を作り出している)
一言二言で冷静させ、良い方向に向かわせ乗り越えて来たのも
兄貴のような彼と喧嘩ができる仲ではないかと、尊敬と感謝。

現在
飲み物はアルコールの代わりにウーロン
話題は"誰も知らない未来"から"体調が..."へと代わった。苦笑

台場

IT PRO EXPO2008に行って来た。
会場は人が溢れ、盛況のように見えました。

全体の印象は主役不在。(これからは主役はいらないかも・・・)
そうそうたる出展者ですが、それぞれはITの次の動きに狙いを定め、
百花繚乱な出し物。
"情報管理、資産管理、効率化"などは今年のキーワードになりそう。

感心したのはSKYSEA Client View。という情報セキュリティ対策のソフトウエアだ。
何だかSF映画にできくるような名前ですが、まあ、簡単に言うと完璧な社内監視システムですね。使う人のモラルはすべて。
SFは現実になったようなものかもしれませんね。
少々恐ろしい。

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一時期、「主婦でもできるインターネット」
のようなタイトルで展開した諸説や著書がはやり、そして広まった。
確かに、進化に伴う需要を満たさねば...。

困ったことに、一部の企業の担当者様々もこの説に感化し、
主婦もできるもんな〜、それほど複雑な...
の思いをインプットされたままにミーティングに臨み、
時々のご要望は上記の感覚を滲ませながら
曰く: 低コストパフォーマンスで得られる高いクオリティを....と。

主旨はつまり、
クオリティはデザイナー(プロ)に任せ、
コストパフォーマンスは主婦感覚から刈り取れ。

裏返せば、知らない"現世の世の中"の状況をうまく隠せ、
暫く、これで無事にサラリーをもらえる。

"立場上"に、大概の場合は議論するのも、返す言葉も見つからない!!
これでは"ポジティブで、積極的..."を唱えながら地獄に落ちるようなもので
まして、"最高クオリティ"云々は空しく聞こえる。

(デザイン)制作。業種的な特長には企業の動きに左右されやすい面もある。
が、そもそもそれは"昔"ーーユーザーは企業様々の言われるがままの時代の定義。
ではないでしょか?
進化してきた今の現実では、ユーザーがあっての企業へと変貌したように思える。

そこで疑問。
企業側は"主婦感覚のコストパフォーマンス"のご要望で、
ーーユーザーの目を欺く=自殺ーーのようなものではないでしょか?
制作側に"主婦感覚のコストパフォーマンス"を要求されては、
果たして"ご要望"に答えるのかね。
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この間、HP制作を納品した某企業の社内担当者から
HPの社内メンテナンスについて、"どうやって更新するの?"と電話で質問され、
確かめるために"ご利用になるソフトウエアは?"と聞き返した。
すると"ホームページビルダーです"!!! の返事を頂戴した。
"そっか、それではプロ仕様のソフトウエアに買い替える必要があります"
と薦めたところ
"そう言う予算はないよ。...。"。感情を押さえるのは必死だった。

知るものかっ。どこまで背負わせるつもりなのかね。


※すべての企業ではありません。悪しからず。
※因に、ここは主婦たちを攻撃するつもりはまったくありません。
※写真は無関係です。

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大学の教室棟廊下

知り合いのK嬢に"君は口が悪い。なぜ?"と聞かれ
うん、恐らく"日本一"の口悪いーー母校のH教授先生の影響だろう。
との言葉で返し、
"在学当時の写真授業中にモデルになってくれた女子学生に
ライトをあてた途端
誰でも聞こえるような呟きで、"ちぇッ、首が短い、ないっ"と言い放った。
その後の彼女は皆のカメラで向けられた前に
必死に泣きを堪え、翌日からゼミーから去っていたのさぁ。"
ほらぁ、どうだ。インパクトのある伝説でしょ。と...。

きっと信じがたい気持ちを持っていたK嬢だろうが
後にH先生に会わせることにした。
約束の時間が大幅に遅れて到着した先生は、改札口に出るやいなや
案の定、K嬢を見るなり"彼と一緒に立つと、君もヘンなヤツに見えるよ"
と、ショックの初挨拶を食らった。(笑
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在学中にアルバイト探しに困りはて、先生と相談したところ
知り合いの制作事務所に入れさせ、デザイン修業させることにした。
その後、時々事務所に来ては、後ろに立ったまま
腕を組み、口にタバコを銜え、首を傾げながら、
"言葉も理解しないお前さんは、デザインなんか無理だろうな〜。..."
"ちぇッ、君はデザイナーに向いてないね..."とか。
返す言葉も見つからず、実に"ムッ"としかできなかった。

"デザイナーは洒落た(高い)道具を使わないと、
洒落た(良い)デザインなんかが出来こないっ"は口癖。
(恐らくプロ意識を養う目的のものでしょ。)
安そうな道具を使っていると見かけると"デザインがうまくならない筈だ"とか
時折、宿題は少しの手抜きがバレたら、
ここぞとぱかりに、怒りもせず、言葉が軽快に変わり
手を抜いた本人の顔が赤くなっていくのを楽しんでいた。

90年代初頭、いち早くパソコン時代の到来を予感し、自らパソコンを購入した。
が、翌日に僕に"お前も買え!!"
添えた一言は"これからのデザイン現場はパソコンが必須だっ"とか...。
反発することができず、秋葉に行きパソコンを購入してしまった。
買った日から"パーソナルコンビュータ"の虜に...。
なんせ当時にしでは、そお〜と高い買い物でもあった。

卒業寸前に"大学院へ進めたい"と、話を持ちかけたら
"君はあんなところに行ってもどうしようない
サッサと卒業し、社会に出て勉強しろ。さもないと卒業させないぜ"とね
これも反発はできなかった。

卒業してからの日々を立つのが速いっ!!
思えば、その節目節目で先生と会い、状況を報告し、アドバイスを求めてきた。
"社会でのお勉強"は10年目くらい立った頃、独立を促してくれた。
いまは会うと"親方"と呼び方に改めて
人生の恩師と崇めている。
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[番外話]
和光大学40年祭に、大学から手紙が届いた。
開けると学校事務の書類以外に先生の直筆の手紙も添えられ
"...この際、彼らに君のweb作品の出品を薦めていた..."と書いてあった。

"えぇ〜、こんなに忙しいなのにぃ〜"と、少しの怒りと戸惑いながら
すかさず先生に電話を掛けた。すると電話の向こうから"あのしゃべり"で言った。
"うん、薦めたのは俺だ。提出するだろう?"。
"ええ〜と、...はい"。説明しても無駄だと悟った。

"やれ、やれ"とブツブツ言いながら
10何年間にわたり、FD、MO、CDにためていたデータから作品を選び、
ようやくA0サイズ一枚に、ポスターふうにまとめたものを
先生に見せたところ:"1枚じゃ駄目た、せめて2枚にしろ"。とね...
あぁ〜、撃沈。

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トリオたちの想いを込めた社名。込めた意味を説明求めると怪我する。笑

05年独立したまもなく、一通のメールが舞い込んだ
...昔、一緒にVAIOの宣伝のために熱くなったね、
その後退職し、いまはここにいる。一度会って話をしたいのですが、...云々。

一瞬迷惑メールかと思った。が、言ってることがあってるしな〜
試しに返事メールを出してみた。...、...。

約束の時間に約束の場所に現れたM氏、
"あぁ、ご無沙汰..."と挨拶を交わしたと同時誰たかをも思い出した。
VAIOのサウンドシステムにこだわりをもって熱く語り、うるさかったアイツだ。
しかも"かなりの昔"のことだった。

しかし、再び再会したきっかけをつくったM氏で始まり
M氏だけでは収まらなかった。
のちにミーティングの場に現れたF氏、S氏の30代3人が揃って目の前座れると
真っ昼間なのに、まるで何かの興奮剤をでも飲んだかのように語り始め、
室内温度は上昇しているのでは?との錯覚に墜ちた。

"熱いっ!! 何だ、この連中は...."

ようやくことの実態を把握しはじめたのは
業界に知りわたった「ライセンスオンライン」の言葉を頻繁に口にした時だった。
まさか、目の前にいる"トリオ"はその開拓者たちとは
およそ想像したものの欠片もなかった。

話によれば : 時はネットバブルの絶頂期。
元はアメリカにあるオンラインソフトウエア販売会社に何回も乗り込み、
"日本で同事業の展開は僕たちに..."と幾度交渉の末
日本における事業展開の権利を獲得し、
某物産系大手の社内ベンチャーとしてスタートしたこのビジネスは
たちまちヒットさせたとか...

再会の時点では、ネットバブルがすでにはじけ、アメリカの元会社も倒産
運営権はそのまま日本に移譲した。
業界全体は明るい兆しがあんまり見られないなか
オンラインソフトウエア販売の売上は奇跡に伸びた。

それは熱い努力のたわもので、暫くはのんびりしていられるね
と羨ましがっていた。

が、熱いトリオたちはこれに飽きたらず
母体であるXX物産に、システムの機能強化・拡大のためさらに増資を申し出た。
空しく、現状が満足している"大人"たちに拒否された。

まあ、これで大人しくなるだろうと思いきや
このトリオたちは会社に退職を申し出て、独立の道に走り出した。

"どこまで熱いんだろう"と理解し苦しい2006年末あたりの出来事。
(ちなみに主役不在になったライセンスオンライン社は
後にソフトバンクの買収された。)

●アツイゆえのエピソード:
"独立決起大会"にアルコールの勢いで熱く盛り上がったのはいいが
不用意に"秘"の付く情報を口に走ってしまい、思わぬ後悔する結果を招いたそうだ。
まさしく熱くなり過ぎで、"怪我"にも繋がった。笑

先日"久々会いに行くよ"と電話を入れ
引っ越しをしたぱかりの"トリオ"の会社を訪ねた。
"さあぁ、これからクラウド時代がやってくる。...."
ちっとも変わらなかった。

高圧線

大分前に買っていたカメラの偏光(PL)フィルターを
使わずに置いたままにしていた。
三連休中に天気のいい日に、近所の公園に行き
秋の花々を被写体にテストしてみた。

花

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うん、色の落ち着きはなかなか良いが
少しは効きすぎたような気もする。

踊り子

踊り子のカラフルの色もパッチリ撮れた...

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友人の間で、僕は経済オンチで有名。
ここで、ファナンシャルプランナーの知り合いの言葉を借ります。
"...。いくらマネーをたくさん持ってみたところで、それはあくまで
デジタルの1と0の集まりに過ぎず、デジタルのデータを
いくらたくさん集めてみたところで、人間はただの一日たりとも
生きてゆくことなどできない・・・"

回りくどい引用で、申し訳ない。


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彼とは某大手の事業部長がなされている時に
僕はHP制作として何度か会ったいきさつ。
その後彼は会社から独立、銀座あたりで事務所を構えた後に
時々酒を片手に、互いの状況の確認&情報交換をし合ったりしてます。

まったく違う業界にいるし、無関係だと思われるのだが
話をしているうちに思いもよらぬ共通認識がいくつかもある
その一つとしては、情報量の多さとその変動の速さに追われている。

溢れる"情報"に囲まれている日々。
情報収集オンチでもあるこちらは何とかしよと
毎朝パソコンのスイッチを入れ、まずすることは購読メールと
各ジャンルのニュースを目に通してから一日が始まる。

が、すべてのものを消化が仕切れません!!
・なんせ何時間、何日後に古く(不必要)なるものが多い
・なんせ"デジタルデータ"であるゆえに不確定要素が多い
・なんせ情報のための情報も入り交じっているから
・なんせたくさんあっても混乱を招くからと思ったりして...

けれども、記憶に残ったもののいくつかは
運がよく、その後の提案や、制作のなかに役に立ち、
時にはミーティングの場で必要な"媚"として好印象が残る。(笑)

デザイナーたるものは客無しでは成り立たない。
世の中"情報・技術(優先で)に取り込まれたデザイン"が支配になった今日
デザイナーはその先のことまだも視野にいれ、考慮すべしし
単に"感性・センス"だけにこだわっていては立ち行かず、
崖縁に立ち、謳歌しているようものだ。
と痛感している。


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居心地良い椅子に座り、モニタを睨む日々。
緊張感が抜けるためのコーヒーとタバコと一瞬の妄想...

こんな記事が目に飛び込んだ
「人類はもう進化しない」
曰く:"...人間も例外ではなく、ラマピテクスやアウストラロピテクスから進化して現在の人類に行き着いているわけです。
しかし最近の研究によると、人類の進化はすでに止まっており、何年たっても今の人間とあまり変わらないそうです。現在を生きてる人間からすると、数年後に進化した人間が現れるといわれてもピンときませんが、逆に進化しないと言われても、なんだか夢が無いように感じてしまいます。"

ーーうん、なかなか意味深 >>興味のある方はこちらへ

人類の進化はなくでも
いままで散らかしたものの片付けは先だ...

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所詮仕事(デザイン)は遊びの延長にあるもの。
さらに"0"と"1"での組み合わせによって、遊び範囲と可能性・楽しみが倍増。
肩が狭く...ではなく、のびのびとね
...。

河川敷でのゴルフ。は、危なくていけないとは思う。
が、テレビ局のインタビュアーがマイクを持ち、ゴルフしているオヤジを追っかけ
"ここが笑ってやれ"とぱかり、シツコクせまるのも
情けが感じず、嫌らしく、なんだかみっともない光景に映る。

"法律がある"という口実に、視聴者の感情を煽り、
取材対象者(市民)をあたかも"悪人"と仕立られ、苛めるかのような質問を投げたり...
うん、問題解決が良い方向へと結びつけるとは到底思えない。

法律がある。その"法律"がつくられた過程と意図を検証するのも
マスコミたるものの使命の一つなのでは?
疑問が感じずに公共電波に載せるのは、堕落っで言います。
"公平"何かは単に言葉にすぎずなら死語に葬るべし?

時々マスコミ屋さんの頑張りで作り出された歪んだ結果の前に
その都度マスコミの皆さんは"私たち(マスコミ)も責任があります"と
大衆の面前に反省したような記憶ある。
ですが、しょっちゅう反省されたら、進化はないとも言い、
記憶の混乱にも繋がります。

まあ、河川敷ゴルフより、やるべきことがたくさんあるけどな〜

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90年代初頭、大学帰りの電車のなか
教授先生に"これからはパソコン時代だ"と煽られ(笑)
"えっ!!"と反応したことは記憶に残っている。

半信半疑の想いで、それまでデザイナー憧れの聖地「世界堂」
ーー想像力・視覚刺激が掻き立てられるカラフルな殿堂でコツコツと購入した
定規、三角定規、雲形定規、ロットリング 、色鉛筆、カラーチャート、写植ノート、
テープ、トレーシングぺーパー、ぺーパーセメント、
コンパス、カッターナイフ等々を片付け
秋葉の電気屋で購入した、色気のないマウスとキーボードに乗り換えた。
(ついてに生れつきの左利きも右に変えてしまった。トホホ。)

それから、マニュアルを片手に"画面の向こう"のものとの悪戦苦闘。
ーーパニック・スランプに落ちたり、縮んだり、伸びたり、悩んだりで、
  時には"昔のアナログ時代は〜"と嘆いてもいた...
  (たまに片隅に追いやったロットリングたちを眺めていたり...)

のちに"本業のデザイナー"がよそに
提案、営業、ミーティング、システムトラブル解決、飲み会、
マネジメント管理等々、状況を理解する余裕がなくのめり込んでいき
気がつけば、"余計なこと"に手を染めるようになっていた。

今になってふりかえて見ると、随分振り回さる日々の連続だったが
充実し、楽しかった日々でもあった。
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しかし、何か足りない!?
この間「TVタックル」の番組にこんな内容のやりとりシーンがあった。
元官僚は現役官僚に向けて"もっと政策立案力(の基本)を磨け"と言ったところ
現役たちは"それは政治家のやることだ"やんわりと言い返した。
"えっ〜、これは今時の感覚??"と元官僚は締めくくった...
どこかで見たような光景ーーデジャヴだ。

時代が猛スピードで進化したのは手が掴んだように分かる!!!
と同時に、もの凄い空白地帯もできたようにも感じるね
インターネットはリンクで繋がるのは常識になったが
仲間同士のリンク(Communication)は断片と化していた。。。

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管理している知り合いのサイトイメージ

1日の記事で書いた知り合いの個展は798の"仁"というギャラリーで行われ
作品テーマのほとんどは、かつて彼女が経験していた人民解放軍の軍隊生活や、
絵勉強のために田舎で写生生活でのインスピレーションから得ているそうです。
個人的にあまり良しとはしませんが、

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ギャラリーの入り口のポスター

ところで、展示している40点近くある作品のすべて
すでに買い取られていると聞かされるとびっくり仰天だ。
しかも、2年契約も結んでいたとか
本人の良い顔つきの訳が分かったような。。。

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会場の雰囲気(外人はオーストラリア大使と関係者)

その後の打ち上げは798内にある洒落たレストランで開き
酒とワインと料理を舌鼓しながら、創作テーマに盛り上がっていた。

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レストランの内装

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"デジタル"だの、"マルチメディア(←死語?)"だの、"IT"だのと
この間に目が輝き、興奮している時期が終え
"ネットバプルの浮き沈みに振り回された企業様々
そして、そのピクセルの隙間(最前線)で
もがき苦しんだ友人とクリエイターたちがいたこと..."を
残像のように思い出す。

またこの間、ネットインフラは: ISDN→DSL→光ファイバーと進化し
スピートをもたらされた。
この急速な変化よって、快適な世の中になったが
過去の(制作現場)ルールをも崩れたように思える。

近頃のデザイン現場に行くと
経営側の立場にいるものの口から
今時の若者は"コミュニケーション力はない..."、
"根気がない..."、"デザインが哲学はない、チカラはない、主張しない..."、
"デリカシーがない..."、"酒が飲まない..."等々。"ない"のオン・パレードだが

一方の制作者たちからでは
"仕事はきつい..."、"スピートに追いつかない..."
"目指すものはわからない..."、"話はウザイ、わからない"
と、良く聞かれる。

上記の状況を踏まえ、"新たな制作現場ルールの生む苦しみ。"と捉えるか
それとも危機的な何か? ......

まあ、同じ仕事を携わってきた自分ですが
もはや、"制作"という仕事を再解釈する必要あるのでは。
と思ったりして。。。

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当面のサイトイメージ。

急成長している中国。そのデザイン業界もーー
この間、制作会社を経営している北京の友人と話し合い
当面ネット経由で協業することになりました。
これで少しは閉塞感からぬければ。。。

しかし、このネット時代にしか実現しないものです。
ストレージサーバー、グループウェア、メール、メッセンジャー(Skype)...
まあ、"0"と"1"でささやかなグローバル時代を実現!?
とでも言いましょーか

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モニタに立っている"モモ"。

もらいセキセイインコはほとんど室内放し飼い状態。名前は"モモ"
因に1年ほど前まで飼っていたモルモットの名前も"モモ"だった。

仕事中に飛んで来て、僕のマシンの上に立ち、
じっと周囲を観察しているような。。。実に癒されるものです。

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園内のコスモス畑

最近自宅で作業する日が多く、少しは憂鬱感。
ネットで近場の遊び場"巾着田"をみつけ、地図を見る限りでは大きな野外公園のようだ。
久々外出した。

曇り空。肌温度は最適。電車一時間で現地についた。
が、思うほど小さい公園で人も多かった。
それでも花があり、川あり、イベントありで
少しは晴れた気分に。。。

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園内の曼珠沙華(まんじゅしゃげ)群生地

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798工場--歴史とアートの共存

50年代東ドイツの援助で建てたバウハウス建築仕様の軍事工場--798工場
が、いまでは中国本土のみならず世界中の若い芸術家たち表現の場になり、
同時に一大観光地にもなった。

今年8月某日、知り合いの個展にあわせこの798に見て来た。
真っ赤な"798"の文字が飾った入口を通過した突端、
遠くまで続く一本道の両脇に
個性的な看板を掲げているギャラリーはどころ狭し並んでいる。

話が聞けば、空いた工場の建物がそのまま個人に貸しているそうです。
しかも、今も工場として稼働しているエリアはあるとか。なるほど、
エリア内はギャラリー見物人と工場労働者が行き交う訳だ... 奇妙な光景だ。

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ギャラリーの作品展示風景

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改装中のギャラリー。40年前に毛沢東を讃えるスローガンはそのまま。。。

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稼働中の工場。なかなか重厚で、"味"のある外観